汽笛は泣いて
星屑ロケッターズを立ち上げた、1発目の公演「テク肉ノナイト」。もう3年くらい前になるのかな、その公演の中で、敢えて 矢野絢子の曲を使った。
それ以外の曲はほぼほぼノイズか、エレクトロニカだったような。声とか、歌の無い曲。
ダンスで、日本語の歌を使うか使わないかは、大いに好みがわかれるのではなかな。
TVや、PVで観る、音楽や、ダンス。J−POPや、HIPHOPが主流になり、それ以外の身体表現も、デジタルアートの中で素材としての身体、編集によって切り刻まれるパーツとしてのボディ。映像ツールの使い安さもあいまって、おまけに、コンテンポラリーダンスという言葉の良い意味での浸透と、ある種の停滞、行き詰まり感はあったと思う。
その当時の自分は、SNSらしい事はやっておらず、時代の流れに逆らっていたというより、取り残されていた。と今となっては思う。
くらい、時は経つのは速く、と同時に何も変わっていなかったように。あんまり、踊りも変わってないからなあ。っていうかこれは「踊り」なのか「反応」なのかわからない。
まあ、「踊り」に見られるんだろうな。「動き過ぎの踊り」に。。。。。。
でも、あの公演で「汽笛は泣いて」をやってなかったら、
星絢ロケッターズには至って無かった。「Air」も無かった。
ダンスについて、
身体について、
音について、
声について、
歌について、
言葉について、
人間について、
表現について、
社会について、
これからについて、
色々な当たり前の事について考えるようになった。余計にわからなくなっていった事と、ほんの少しわかりかけた事。
まだまだ、「Air3」詰めないといけない、つくらないといけないところがある。
明日の稽古がんばろ。
星加