ダンス×言葉、言葉×動き、身体−意味
星絢ロケッターズの場合、日本語がある。
星絢ロケッターズの場合、星屑の場合もそうであるが、賛否はある。と思う。
「この作品は何を表現してるのですか?どんな意味があるのですか?」
とか、
「この作品では、こういう事を表現しています」
とか、よく耳にする。
こういうやりとりは、果たして重要なのか?
目の前で起こっている事を、素で観れば、自ずと感じる物があるはず。
手品、マジックでいうと、純粋にみればよいのに、どこかタネや仕掛けを理解しようとしたがる心理、その裏側まで知れて、始めて観たことになるという、強迫観念のよなうな心理。
ダンスはよくわからないからと
これもよく聞く。
ダンスの作り方は、絵を描くより、楽器を演奏するより、演じるよりも、難しいのかな?
メディアから触れる、流行のダンスとか、社会現象になってしまうような、ダンスとか、
ダンスには、色々ある。TIC TOCとか。
じつは、ダンスって、踊るって、身近なんだよねー。
音楽に合わせて踊るものなのかな、一般的には、
音楽に合わせてないと、ダンスではないのか?
と、まあ、公演の度、広義の意味でダンスとは、ひとはなぜおどるのか?とか
考えなくても、自分の中からその問いはやってくる。
作るときは、かなり試行錯誤する。
が、
公演になると、頭はそんなに使ってない。
ただ、かんじるままやるだけ。
だから、観るひとも、
自由?にみたまま感じれば良いのでは。
何日か前のブログ、以降の思う事、
確か、カントかな、哲学者の言葉で
「美とは無関心になること」である、みたいな事をいってる人間がいる。
そうだと思う。
意味を探ったり、この人はこういう考えの人だからとか、経緯とか背後にあるものとか
そういう事を考えるから、何も感じれないのでは、、、、、
人間は、考える葦である
人間は考える事をしいられる生き物である(つまり、人間は考えない)
はい、おおまかに脱線しました。
英語の歌詞の意味もわからずに踊る、日本人がいるのだから、
西洋、欧米の文化も理解せず、引用してる人も多いから、
せめて、母国語というか、
言葉の本質を大事に大切にしてもいいのでは、、
うー、公演の話にならないな。
つづく